2009年03月01日

こだわりの弊害

先日、NHKの番組を見ていて、某電機メーカのエンジニアが台湾製の低価格ノートパソコンに対抗するにはどうしたらよいかということを社内で議論していた シーンが流れていた。開発リーダらしき人曰く、わが社の強みは品質。品質に絶対の自信あり、企画部の人が何を言おうとも品質は絶対に妥協しない・・・この ようなことを言っていた。彼らはこの台湾製のミニPCを分解し、使われている部品の品定めをやっていた。

エンジニアが技術にプライドを持つことは重要だ。これがないと決して良い仕事はできない。しかし、プライドから来る「こだわり」は、時として「挑戦」や 「転換」を阻害する方向に働くことがある。日本の大企業に勤めるエンジニア達はこのようなこだわりをもつ人達が非常に多い。大抵が品質へのこだわりであ る。製品やサービスの品質はむろん良いにこしたことはないが、それがあまりに行き過ぎた結果が台湾製ミニPCの台頭である。このことは事実として受け入れ なければならないだろう。冒頭のエンジニアたちがあれほど品質へのこだわりを見せたのは、過去の大きな成功体験がそうさせているのだろう。彼らが所属する 組織のDNAに組み込まれているのかもしれない。

私が大学を卒業し社会人となったのは92年でちょうど日本でのバブルが崩壊した年であった。この年以来、個人の家計という観点では日本の社会はダウントレ ンドであったといってよいだろう。ITバブルの時期やいざなぎ景気越えといわれたここ数年の好景気の時代でも、多くの人は財布の紐を緩めようという気には なれなかったのではないか。会社に勤めていたころはこれだけ社会が厳しくなっているのだから、きっと大きな変革が訪れるだろうと心待ちにしていたのだが、 結局ほとんどなにも起こらなかった。

米国バブルに支えられたここ数年の企業の好業績の下でも給料はそれほど上昇しなかった。その分が新規雇用を増やしたり、リストラを抑制したりするなどの方向へ働いていたと解釈すれば、ある意味、これもワークシェアリングだったのではないか?

雇用が確保され、昔の成功体験が受け継がれ、こだわりの多いエンジニアが闊歩する。これが企業の新陳代謝を遅らせ、世界規模での競争において日本が先頭に立てない理由のひとつに思えてならない。

今の会社に我慢しているエンジニア諸氏、ご自身の技術へのプライドがあるならば、いま勤めている会社という組織に縛られる必要はないのではないか?転職よし、起業よし。現在の処遇に甘んじることなかれ。ご自身がもつ技術でもってどう金が稼げるかを考えてみてはどうか?

独立すると「こだわり」など言っている場合ではないことに気づく。 生きるか死ぬかの瀬戸際に立つと、人間は必死になる。まだ「こだわり」をもっている間は、本当の危機、本当の必死さのレベルまで到達していないということだろう。


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