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2010年05月15日

ネット中立性論に潜む罠

久しぶりのブログ更新である。最近ツイッターの手軽さと反響の手ごたえに溺れてしまい、すっかりブログ更新がおろそかになってしまっていた。しかし、大きなテーマについて論じようと思うと、さすがに140文字では足りない。今回は日本ではあまり騒がれていないネット中立性の問題について考えてみた。もしかすると事実誤認があるかもしれない。お気づきの方は遠慮なくご指摘ください。

ネット中立性支持論者は、キャリアが特定のコンテンツプロバイダーのトラフィックを抑制すべきではないとの立場で、そのような行為を行うキャリアを糾弾する。そもそもキャリアがこのような行動をとる背景には、一部のコンテンツプロバイダが、とてつもなく大きなコンテンツを流し、キャリアが管理するネットワークを輻輳状態に陥れる問題が頻発しているからだと聞く(いわゆるネットワークただ乗り問題)。一部のキャリアが、他のユーザとの公平性の観点から、このようなコテンツへの割り当て伝送帯域を減少させるなどの対策を講じており、これがネット中立論者の反感を買っているという構図である。

ネット中立性の主張者の多くは、コンテンツプロバイダである。コンテンツプロバイダは、自社のサービスが帯域規制によってブロックされ、その一方でキャリア自らが提供する同種サービスが優先的に流されることを危惧し、中立性の論陣を張る。また、一部の市民活動家らは、キャリアによるコンテンツ流通規制が、言論の自由を脅かすのではないかと危惧し、中立性の論陣を張っているケースもある。

キャリアがコンテンツプロバイダと同じ土俵のコンテンツサービスを手掛けるからこういう問題が起こる。キャリアが土管提供に徹していれば、公平性を担保するためのトラフィック規制も、文字通り素直にコンテンツ専業プロバイダは受け止めることが出来るだろう。

その一方で、物理的な伝送帯域幅には限度があるわけであるから、自分のシマを守るためにトラフィック規制を許さないとするコンテンツプロバイダに対しては、無責任さを感じる。高速道路に車幅10m、長さ2kmの超大型車を走らせたら一体どういうことが起こるか想像してみたらいい。中立性を担保せよと主張し、その陰で帯域占有の不公平は許されて良いのか?割を食らうのは、ネットの世界における弱者、すなわち個人であろう。

さて、少し視点を変えてみたい。現在のアクセス系ネットワークは主としてエンドユーザ(ほとんどは、視聴者であって発信者は少数)への課金によって運用されていると考えられる。コンテンツをせっせと愛読してくれるユーザがネットワークの敷設維持コストを負担し、その上でコンテンツプロバイダは気兼ねなく大量のデータを流すと言う構図である。これに加えて、コンテンツプロバイダはキャリアに対してトラフィック規制は行うなと主張する。ネットワーク利用の受益者であるはずのコンテンツプロバイダが、自らアクセス網の敷設維持コストは負担してないにも関わらず、トラフィック規制はするなと主張する。少し自分勝手な主張ではないだろうか。

誤解しないでほしいが、私はコンテンツ市場の拡大こそが次代の通信社会を考える上で何より優先される事項であると考える。この前提に立つと、ネット中立性を頑なに主張するコンテンツプロバイダ達には、もっと広い視点に立ち、その行為によって自らの成長機会が奪われるかもしれないことを伝えたい。

もし社会がネット中立性は守るべき重要なものと受け入れ、いかなる理由があろうともキャリアがコンテンツプロバイダに対して帯域制限を行うことはご法度である、と規制をかければ一体何が起こるであろうか。

まず、キャリアの下へユーザからの苦情が殺到する。見たいコンテンツがあるのに見れない、と。キャリアは仕方がないのでインフラの増強を図る。対象のインフラは、アクセス網であったり、バックホール網であったり、あるいはバックボーン網であったりする。インフラ増強のコスト負担は、しばらくはキャリアが被ることになるだろうが、次第にそうも続けられなくなって、いずれかのタイミングでユーザへの通信費に転嫁されるだろう。ユーザへ課金される通信費の上昇が、ユーザのコンテンツ支出性向を減衰させ、コンテンツ市場へ流れるお金の量が減る。

上記シナリオの結末は、中立性が担保されれば安泰と考えたコンテンツプロバイダが、その主張によって自らのビジネス環境を苦境に追いやってしまうという、笑うに笑えない結末である。

繰り返すが、コンテンツ市場の拡大こそが今後のネットワークの発展、いや経済社会全体を考えた場合に最も優先される事項である。コンテンツ市場へより一層のお金が流れる様な仕組みを作らなければならない。ネット中立性と言う近視眼的な主張が、コンテンツプロバイダ自らの首を絞める結果とならなければいいが。
  


Posted by furuhiro at 22:49Comments(0)