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2009年03月10日

シーズとニーズ

大学発ベンチャーのほとんどは教員が持つシーズを元に起業したケースであろう。一方、巷の中小零細企業をみると、しっかりと生き残り活動を続けている会社はほとんどがニーズ主導できた企業である。では、どんなビジネスもニーズ主導でいくべきなのだろうか?

ビジネスはシーズだけではやれない。これは分かり切ったこと。しかし、今あるニーズばかりに囚われ活動していて、将来大きく開花する新しいビジネスを生み 出すことなどできるのか?今あるニーズは、ほかにもそのチャンスをつかみたいと考える人が大勢いるはずだ。そうなると、より多くの資本や資産を持つ企業に 軍配があがる可能性が高い。とくに大きなマーケットが期待できる分野では、その可能性はより一層高まる。このような分野でベンチャーが成功するのは至難の 業であろう。

しかしシーズ主導で起業した場合、成功へと導くための努力は並大抵では済まない。まさに茨の道である。この場合、すぐに応えられるニーズがどこにあるかを 探すことから始めなくてはならない。小さな案件でも地道にこなしながら、一方でしっかりとコンピタンスを蓄積し、近い将来、ニーズが爆発するのを待つしか ない。これは忍耐が必要。むろん、ニーズの爆発が永遠に来ないシーズがほとんどだろう。大きなニーズが永遠に来ないと判断されれば、潔くそのビジネスを諦 めなくてはならない。その判断のタイミングは経営者の先見性が問われるところである。

米国で大きな投資を受けて事業活動しているベンチャー企業を見ていると、巨大VCが彼らの出資先やイグジットさせた企業との間で強引にビジネスを成立さ せ、いわばマーケットを彼らの手の上で作り出し事業を育成するケースを見る。迅速にシーズからニーズへと転換させていくためのビジネス醸造システムだ。た だし米国発の金融危機により、このシステムにも修正が施される可能性はある。

大きく開花した独創性の高いビジネスは必ず最初はシーズからだ。しかし、これらのビジネスは、ある時期を境にシーズがニーズへと変化する。このようなシー ズを見いだせるか否かは、経営者の先見性のなせる業である。大学発ベンチャーに求められるのはシーズ主導だ。断言したい。大きく花開き、多くの雇用を創出 できる新しい事業を創出することが大学に求められる新世紀の役割の一つであってもいい。大学の知を富や産業競争力へと転換できる仕組みは大いに発展させな くてはならない。象牙の塔とはずいぶん違う大学の姿である。
  
タグ :起業競争


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2009年03月01日

こだわりの弊害

先日、NHKの番組を見ていて、某電機メーカのエンジニアが台湾製の低価格ノートパソコンに対抗するにはどうしたらよいかということを社内で議論していた シーンが流れていた。開発リーダらしき人曰く、わが社の強みは品質。品質に絶対の自信あり、企画部の人が何を言おうとも品質は絶対に妥協しない・・・この ようなことを言っていた。彼らはこの台湾製のミニPCを分解し、使われている部品の品定めをやっていた。

エンジニアが技術にプライドを持つことは重要だ。これがないと決して良い仕事はできない。しかし、プライドから来る「こだわり」は、時として「挑戦」や 「転換」を阻害する方向に働くことがある。日本の大企業に勤めるエンジニア達はこのようなこだわりをもつ人達が非常に多い。大抵が品質へのこだわりであ る。製品やサービスの品質はむろん良いにこしたことはないが、それがあまりに行き過ぎた結果が台湾製ミニPCの台頭である。このことは事実として受け入れ なければならないだろう。冒頭のエンジニアたちがあれほど品質へのこだわりを見せたのは、過去の大きな成功体験がそうさせているのだろう。彼らが所属する 組織のDNAに組み込まれているのかもしれない。

私が大学を卒業し社会人となったのは92年でちょうど日本でのバブルが崩壊した年であった。この年以来、個人の家計という観点では日本の社会はダウントレ ンドであったといってよいだろう。ITバブルの時期やいざなぎ景気越えといわれたここ数年の好景気の時代でも、多くの人は財布の紐を緩めようという気には なれなかったのではないか。会社に勤めていたころはこれだけ社会が厳しくなっているのだから、きっと大きな変革が訪れるだろうと心待ちにしていたのだが、 結局ほとんどなにも起こらなかった。

米国バブルに支えられたここ数年の企業の好業績の下でも給料はそれほど上昇しなかった。その分が新規雇用を増やしたり、リストラを抑制したりするなどの方向へ働いていたと解釈すれば、ある意味、これもワークシェアリングだったのではないか?

雇用が確保され、昔の成功体験が受け継がれ、こだわりの多いエンジニアが闊歩する。これが企業の新陳代謝を遅らせ、世界規模での競争において日本が先頭に立てない理由のひとつに思えてならない。

今の会社に我慢しているエンジニア諸氏、ご自身の技術へのプライドがあるならば、いま勤めている会社という組織に縛られる必要はないのではないか?転職よし、起業よし。現在の処遇に甘んじることなかれ。ご自身がもつ技術でもってどう金が稼げるかを考えてみてはどうか?

独立すると「こだわり」など言っている場合ではないことに気づく。 生きるか死ぬかの瀬戸際に立つと、人間は必死になる。まだ「こだわり」をもっている間は、本当の危機、本当の必死さのレベルまで到達していないということだろう。
  


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