2009年02月01日

特許と論文

iPS細胞の作製に関する発明は世紀の発明とされ,連日新聞紙面をにぎわせている.議論の対象となっているのは特許に関することが多く,つい先日も,バイエルン製薬のヒトiPS細胞作製に関する特許が公開されたことがニュースとなっていた.

iPS細胞の発明者である京都大学・山中教授が同細胞の生成法に関する特許を出願したのが2005年12月.しかし,次の年にはサイエンス誌に本成果に関 する論文が掲載されたというから,特許公開前に発表したことになる.これだけ注目されている技術である.商用化フェーズへ移行すればおそらく大変な特許紛 争が起こるだろう.成果の論文発表を急いだ山中教授の気持ちはよく分かる.良い成果はすぐに論文で発表したいと思うのは大学人なら誰しもがそうだ.なぜな ら,研究者の評価は,多くの場合,論文の質と数で決められているからである.

反対に,昨今の先進的企業の多くは論文発表はあまり重視しない.重要な技術は直ちに公知の技術となってしまう論文ではなく,特許として法的に守られた権利 として囲い込むことを優先するのである.今この瞬間にも,論文として公にはならずとも世界中のどこかの企業あるいは研究機関が革新的な技術を発案し特許申 請していることであろう.出願した特許はある期間が過ぎると必ず公開される.その時になってはじめて公になるのである.山中教授が,彼の革命的な発明を公 開前に論文発表してしまったことの是非は,歴史がやがて明らかにしてくれるだろう.

私が第三世代移動通信の標準化で色々と鍛えられた末に会社を辞めて大学へ戻ってきたとき,以降の自ら研究スタンスについて誓ったことがあった.それは論文 発表よりも特許出願を優先させるということである.これは標準化活動での経験からそう誓ったのである.しかし残念なことに,特許はその当時から現在もな お,大学ではあまり評価されない成果とみなされている.大学へ異動してから今日まで,良いアイデアの特許化を優先し論文は二の次として研究に勤しんでいた 私は,発表論文数が少ないと辛酸を舐めさせらたこともしばしば.しかし,やはりあの時の誓いは正しかったと信じている.

私が活動している通信分野の学会で最近起こっている現実にどれくらいの大学人が危機感を持っているだろうか.

この分野は長年,通信事業会社や通信機器メーカに属する技術者・研究者が技術をリードしてきた.かつて彼等は学会を自ら生み出した技術をアピールし産業界 へ影響を与える絶好の場ととらえ,積極的に最新の成果を披露してきた.しかし最近では,これら産業界に属する技術者にとって学会はあまり重要なものとはみ なされなくなってきた.彼等は学会ではなく,標準化の場で自らの研究成果を披露し,他社との激しい競争を行っているのである.なぜなら標準方式として採用 された技術は,数年以内に実用化され,発明者が所属する企業にロイヤリティ等の形で収益をもたらすからである.一方の学会は,標準化でさんざん議論し尽く された内容のものがワンテンポ遅れて卸され,議論されるといった有様である.多くの学者は自らの研究テーマの探索に学会での動向を参考にする人が多いと思 うが,これだとワンテンポ遅れて卸されてきた産業界の技術トレンドをさらにワンテンポ遅れで追いかける羽目になってしまう.このような状況下で,産業界が 認め積極的に採用してくれる革新的な技術を大学が主導し開拓していくことなど可能であろうか・・・学会は減る一方の会員数を増やすために,あの手この手を 仕掛けているが,まずは産業界で起こっているこの技術開発ゲームの様態の変化をとらえるべきであろう.

この状況が進行すれば,学と産の壁はますます厚くなり,大学の「象牙の塔」化がますます進む.学生にとってみれば,大学生活と会社生活との隔たりの大きさ に脅え,とても呑気に博士課程まで進み大学で技術を極めたいとは思えないだろう.このような状況は通信の分野だけに限らないのではないか?

大学は変わらなくてはならない.産業界が戯れているゲームの世界にももっと多くの大学人が身を投じてよいではないか.もっと組織的に行動し,標準化などの 場へ大学が主体となって参画してもよい.あるいは,大学発ベンチャーをもっと積極的に進め,産学のかけ橋にこれらを利用するなどの方法もある.いずれにせ よポイントは大学人が学会発表という手法だけを自らの研究成果をアピールする機会ととらえる時代は終わりを告げようとしているということだ.我々はもっと 多様な場を活用できる.たとえば標準化の場しかり,webページやプレスリリースによる成果発表しかり.これらのメディアを活用し,社会に大きなインパク トを投げかけ,そして究極的には,リスクテーカーからの新たな投資を引き込む新技術,新産業をどんどん創出していかねばならない.このプロセスと論文至上 主義とはあまりにも距離がありすぎる.

これらの活動を行う場合に重要な後ろ盾になるのが特許である.産業界と同じ土俵で切磋琢磨するためには特許による権利化は必須である.特許は,その審査の 経過で通常の論文査読に準ずるレビューを経るため少なくとも権利化された特許は技術的にある程度は確かなものである.何より自ら発案した技術を法的に守っ てもらう権利を獲得できることが重要である..

このような活動ができる人材を大学はもっと増やすべきだ.大学改革の必要性が叫ばれ,そしてさまざまな試みが実践されて久しいが,真に改革すべきはこのよ うなダイナミックな潮流の変化を捉えられる柔軟なマインドセットを持った教える側の質にある気がしてならない.どんなに優れたカリキュラムを編成しても, 教える側の質が変わらなければ元の木阿弥.教える側も教わる側も,どちらもハッピーにはなれないだろう.
  
タグ :特許発明


Posted by furuhiro at 01:00Comments(0)特許