2012年04月05日

自らを奮い立たせるもの

燃えたぎるような野心を持っている人は幸せだと思う。しかし一人で踏ん張ってみても、物事を決して前へ進めることはできないだろう。一人でできることなど限られているものである。熱い野心の炎をどうすれば人々へ伝えることができるのだろうか。

思いを人に理解してもらい協力を得るためには、具体的かつ論理的でなくてはならない。「何か大きなことがしたい」などと、漠然と熱く語ったところで、普通のまともな人であれば相手にしないだろう。極めて論理だって、目標の背景と具体的手法、そして成功の果実の大きさを説得できなければならない。つまり、知がまずなにより必要である。

利己的すぎても人はついて来ない。仮に人を出し抜いて成功できたところで、それは一時的なものに終わるだろう。なぜなら、利己的な人の周りになど人は長く居続けることはないからである。

ところで、年を重ね、小さくても多少の成功を積み重ねていくと、どんな人であっても野心の炎はやがて小さくなっていく。目標が大きければ大きいほど、成功に至るためには時間がかかる。長丁場の戦場で、野心の炎を絶やさないためにはどうすればよいのだろうか。私は悔しさに素直に向き合うことではないかと思う。野心を実現する過程では、自らの思いを否定されることは良くあることである。悔しく涙することだってある。この悔しさを、何かで紛らわして蓋をするのではなく、素直に受け止め、怒りに変えるのである。この怒りは、やがて、再び熱い野心の炎となって心に宿る。

成功に至ることなく人生を終える人も大勢いるだろう。しかし、野心を実現するための努力、その過程こそが重要なのであって、努力した結果、目標に到達できなくても十分に充実した人生を送れると信じる。人生も後半になり、後からふと己の野心に気づき、しかしもう手遅れだからとあきらめてしまうことほど悲しいものはない。
  


Posted by furuhiro at 00:13Comments(0)その他

2011年03月26日

少しでも何か役に立てれば、と願う

大変なことが起こった。平穏な九州の地に居る私が、被災者へいくら慰めの言葉を呟いてみたところで、彼らへ何の救いにもならないことは分っている。そんなことを呟いたところで、つぶやいた張本人である私自身へ、空しさという後悔が襲ってくるだけである。もし私が被災者に接する機会があるとすれば、彼らの苦悩ややるせなさ、怒りや悲しみにじっと耳を傾け、そして自分にできることをただ黙々とやるしかない。

震災地あるいは避難場所において、我々の技術を利用する際の手引きを気が付いた範囲でまとめてみました。復興活動に携わっておられる方々、下記をご参照になり、もしこの技術が何かしらの役に立ちそうでしたら、次までご連絡ください。(Email: info2@mobcom.ait.kyushu-u.ac.jp)

(1)何ができる?
広い無線LANのエリアを、配線の必要なく、非常に短時間で簡単に形成できます。難しい無線の知識は不要です。5分ほどの説明で、誰でも設置できるようになります。このエリア内では、スマートフォン(iPhone、Androidなど)、スマートパッド(iPadなど)、ノートPC,携帯ゲーム機等のWiFiが搭載された装置が無線でインターネット接続できるようになります。

(2)装置について
我々の技術が搭載された無線LAN装置の市販品が存在します。PicoCELA社のPCWL-0100(http://www.picocela.com/)です。同装置をバッテリで駆動します。バッテリはどのメーカのものでも構いません。要件は15V-0.7Aです。電圧に関しては±2v程度は許容できます。出力が10W以上出せるものを必ず使用してください。実績があるバッテリは、Enax社のPowerBattery Plus(http://shop.enax.jp/shopdetail/003003000001/)です。同バッテリを利用すればフル充電で6時間ほど駆動できること確認しています。このバッテリの容量は77WHです。三脚は普通のカメラ用の三脚で構いません。PCWL本体は500gほどの重量です。これにバッテリを加えた荷重が三脚にかかります。PCWL-0100、バッテリ、三脚で一つの無線LANアクセスポイントを形成します。これらを複数台、WiFi空間を構築したいエリアに設置します。配線は不要です。PCWLを設置する際は、最低1つの他のPCWLが見通せる場所にあるように設置してください。本無線LAN装置の特徴は、複数台のPCWLが互いに無線で信号を中継し合うことで、LAN配線の必要なく、無線LANのエリアを簡単に拡大できることです。自動的に中継経路を形成します。多段中継が可能ですので、PCWLを次々と設置することで遠くまで無線LANのエリアを拡張できます。一台設置するごとに、各PCWLに備わっているボタンを押下して、LEDランプが点灯することを確認してください。ネットワークが通じているかどうかを1台設置のつど、その場で確認できます。PCWL間の中継回線の通信可能距離は、見通しで30~50m程度と考えてください。上記の間隔でPCWLを設置すれば十分な品質のアクセス回線(各PCWLとWiFi端末を結ぶ回線)を確保できます。

(3)注意事項~屋外利用について
PCWLの中継回線には屋内利用しか認められていない5.15GHz~5.25GHz帯の周波数帯域が使われています。したがって、屋外利用はできません。同帯域は公共衛星通信等の用途で他に割り当てが行われているそうですが、具体的にどのシステムが利用しているかの詳細は不明です。PCWLの屋外運用がどうしても必要な方は、関係省庁へご相談いただくことをお勧めします。無論、確約などできませんが、今は非常時、何かしら配慮していただけるかもしれません。

もし仮に屋外利用の許可が下りた場合であっても、PCWLのハードウェア自体が屋内仕様で設計されているため、雨風にさらされる環境での利用は必ず次の対策を施してください。PCWL本体を、電波の遮蔽が少ないビニールやプラスチックケースなどで覆う。PCWL本体が熱を発するので、大きめのビニールを用いて中に空気を充てんして膨らませた状態がベストです。バッテリにも同様の対策を行ってください。

(4)外部インターネット回線について
PCWLは多数のそれらが連携して無線LANのエリアを拡大するための装置です。PCWLによって形成された無線LANのエリアでインターネット通信を実現するためには、外部インターネット回線の確保が必要です。現在、被災地において通信キャリア各社が衛星通信等を使ってインターネット回線の敷設を行っているようです。これらを外部回線として利用してください。外部回線は設置したPCWLのどれか一つに、一か所だけ接続すればOKです。
  


Posted by furuhiro at 23:53Comments(0)その他

2010年10月04日

「学問のすすめ」が教える「独立のすすめ」

40を過ぎたこの年になって、初めて福沢諭吉の「学問のすすめ」を読んだ。共感する部分が多々あり、また今の時代にこそ読まれる本だと思い、小欄で取り上げたい衝動にかられた。

独立心が無い者は「習い性」となり、卑屈になる。ネット上を渦巻く匿名での誹謗中傷や過剰なまでの攻撃性は、まさにこの卑屈さの表れに他ならないだろう。

諭吉は卑屈にならないためには、学問を修めて賢くなり、独立せよと説く。彼の考えは、国家の独立にまで言及されている。

もっと賢くならなくてはならない・・・この主張は明治維新の頃の前近代では当てはまるかもしれないが、現代においては当てはまらないと考える読者がいるかもしれない。しかし私はそうは思わない。確かに、国民の平均的な学力、つまり国四則演算や漢字の読み書き能力、は昔に比べると向上したかもしれない。しかし、自らを省みて、我々日本人は賢い民だと胸を張って宣言できるだろうか?

現在の政治を嘆く者は多い。しかし、今の政治を選択したのは我々自身ではなかったのか。
マスコミの街角インタビューで、「今の政治に何を期待しますか」と問われた有権者が、まるで君子になったかのごとく政治の体たらくを嘆く。しかし、彼にそう言う資格があるのか?体たらくを嘆くほど、自らが主体的となり世の中のために奉仕してきたと胸を張って言えるか?

諭吉は説く「愚かな民に愚かな政治は宿る」と。今の日本は、国の補助なくしては多くの産業がたちまち立ち行かなくなると言われている。つまり個人のみならず、企業すら習い性になってしまってはいないか。習い性で生かされた古い企業群が、既得権をがっちり握り、挑戦者たちの行く手を阻む社会になってしまった。日本でなかなかベンチャー企業が育たない理由の一つと思えてならない。

国民が過度に国を頼った結果、既に身の丈に全く合わない支出を続けざるを得ない財政構造に陥り、いつ国家破綻してもおかしくない状況に陥ってしまった。これは政治のせいではない。国民自らが招いた結末である。

今こそ、日本人は独立心を持って自らの生き方を考え直す時に来たのではないか。学問のすすめは、我々の大先輩が後世に残してくれた至宝の書である。
  


Posted by furuhiro at 18:06Comments(1)教育

2010年05月27日

スマートフォン・フィーバーの先にある危機

このブログは博多の某喫茶店で次の会議の合間に書いている。イーモバイル社のデータ通信モジュールを使い、すでに1時間以上インターネットに繋ぎっぱなしである。自宅のネット環境である光回線+WiFiルータに比べれば若干レスポンスは遅く感じるものの、通信が途絶えることもなく快適といってよいだろう。大きな喫茶店である。客はざっと見渡したところ50名程度はいるがPCで作業しているのは私一人。携帯を触っている人は、大方20名くらいであろうか。スマートフォンを使っている人は確認できず。この環境であれば、快適に通信が行えてさもあらん、といったところか。

スマートフォンの普及が進み、多くの人々が使い始めると、この快適な環境が懐かしく思えてくるに違いない。最新の統計データによると、日本におけるスマートフォンの普及台数はおよそ200万台。1億1200万台の携帯電話が普及している中で、まだわずか1.7%なのである。これが10%になると、我々が享受できるモバイル通信環境は一体どうなるであろうか?

iPhoneが発するデータ量は、通常の携帯電話の10倍であると言われる。画面の表示領域が大きく、CPU処理能力の高いiPadやその類似製品の普及が進むと、10倍どころではないだろう。

モバイルオペレータは、今とても大きなジレンマを抱えているはずだ。ユーザの嗜好が、旧来の携帯電話からスマートフォンへと変化する中、ユーザを獲得するためには、積極的にスマートフォンを売っていかざるを得ない。しかし、増殖するスマートフォンに対して、果たしてネットワークが耐えることができるかどうか。気が気ではないだろう。どれくらいのトラフィック拡大が起こるか、誰も予想できない。全てはアプリケーション次第。これまでになかったユーザインターフェースを提供する端末である。その上で動作する新種のアプリケーションは誰も予測できないのである。とてつもないネットワーク負荷をかける超ヒット作が出現する可能性は高い。

この状況を道路交通にたとえると、これまでは、皆バイクに乗って大人しく通行していたものが、多くの人が大型自動車で通行するようになるということである。オペレータはユーザへ出来る限り快適な通信環境を提供する必要がある。LTEによって道路の幅をちょっと広くしたところで、おそらく焼け石に水。残る手立ては、ひたすら基地局を打ちまくるしかない。基地局の増設は、道路上(無線回線)を走る移動体(データトラフィック)を道路から出来る限り早くオフロードできるようになることを意味する。こうすれば、無線の混雑を抑えることができる。

しかし、基地局の増設はオペレータにとってはコスト増となる。ユーザから徴収する通信料は年々下がる傾向にあり、オペレータが感じるコスト負担感は、加速度的に重く感じられるようになるだろう。

スマートフォンの普及促進は、ユーザにとっては喜ばしい限りであるが、オペレータにとっては、これまでのビジネスモデルが早晩立ち行かなくなる危険性をもはらんだ危険な賭けなのである。
  


Posted by furuhiro at 19:18Comments(1)

2010年05月15日

ネット中立性論に潜む罠

久しぶりのブログ更新である。最近ツイッターの手軽さと反響の手ごたえに溺れてしまい、すっかりブログ更新がおろそかになってしまっていた。しかし、大きなテーマについて論じようと思うと、さすがに140文字では足りない。今回は日本ではあまり騒がれていないネット中立性の問題について考えてみた。もしかすると事実誤認があるかもしれない。お気づきの方は遠慮なくご指摘ください。

ネット中立性支持論者は、キャリアが特定のコンテンツプロバイダーのトラフィックを抑制すべきではないとの立場で、そのような行為を行うキャリアを糾弾する。そもそもキャリアがこのような行動をとる背景には、一部のコンテンツプロバイダが、とてつもなく大きなコンテンツを流し、キャリアが管理するネットワークを輻輳状態に陥れる問題が頻発しているからだと聞く(いわゆるネットワークただ乗り問題)。一部のキャリアが、他のユーザとの公平性の観点から、このようなコテンツへの割り当て伝送帯域を減少させるなどの対策を講じており、これがネット中立論者の反感を買っているという構図である。

ネット中立性の主張者の多くは、コンテンツプロバイダである。コンテンツプロバイダは、自社のサービスが帯域規制によってブロックされ、その一方でキャリア自らが提供する同種サービスが優先的に流されることを危惧し、中立性の論陣を張る。また、一部の市民活動家らは、キャリアによるコンテンツ流通規制が、言論の自由を脅かすのではないかと危惧し、中立性の論陣を張っているケースもある。

キャリアがコンテンツプロバイダと同じ土俵のコンテンツサービスを手掛けるからこういう問題が起こる。キャリアが土管提供に徹していれば、公平性を担保するためのトラフィック規制も、文字通り素直にコンテンツ専業プロバイダは受け止めることが出来るだろう。

その一方で、物理的な伝送帯域幅には限度があるわけであるから、自分のシマを守るためにトラフィック規制を許さないとするコンテンツプロバイダに対しては、無責任さを感じる。高速道路に車幅10m、長さ2kmの超大型車を走らせたら一体どういうことが起こるか想像してみたらいい。中立性を担保せよと主張し、その陰で帯域占有の不公平は許されて良いのか?割を食らうのは、ネットの世界における弱者、すなわち個人であろう。

さて、少し視点を変えてみたい。現在のアクセス系ネットワークは主としてエンドユーザ(ほとんどは、視聴者であって発信者は少数)への課金によって運用されていると考えられる。コンテンツをせっせと愛読してくれるユーザがネットワークの敷設維持コストを負担し、その上でコンテンツプロバイダは気兼ねなく大量のデータを流すと言う構図である。これに加えて、コンテンツプロバイダはキャリアに対してトラフィック規制は行うなと主張する。ネットワーク利用の受益者であるはずのコンテンツプロバイダが、自らアクセス網の敷設維持コストは負担してないにも関わらず、トラフィック規制はするなと主張する。少し自分勝手な主張ではないだろうか。

誤解しないでほしいが、私はコンテンツ市場の拡大こそが次代の通信社会を考える上で何より優先される事項であると考える。この前提に立つと、ネット中立性を頑なに主張するコンテンツプロバイダ達には、もっと広い視点に立ち、その行為によって自らの成長機会が奪われるかもしれないことを伝えたい。

もし社会がネット中立性は守るべき重要なものと受け入れ、いかなる理由があろうともキャリアがコンテンツプロバイダに対して帯域制限を行うことはご法度である、と規制をかければ一体何が起こるであろうか。

まず、キャリアの下へユーザからの苦情が殺到する。見たいコンテンツがあるのに見れない、と。キャリアは仕方がないのでインフラの増強を図る。対象のインフラは、アクセス網であったり、バックホール網であったり、あるいはバックボーン網であったりする。インフラ増強のコスト負担は、しばらくはキャリアが被ることになるだろうが、次第にそうも続けられなくなって、いずれかのタイミングでユーザへの通信費に転嫁されるだろう。ユーザへ課金される通信費の上昇が、ユーザのコンテンツ支出性向を減衰させ、コンテンツ市場へ流れるお金の量が減る。

上記シナリオの結末は、中立性が担保されれば安泰と考えたコンテンツプロバイダが、その主張によって自らのビジネス環境を苦境に追いやってしまうという、笑うに笑えない結末である。

繰り返すが、コンテンツ市場の拡大こそが今後のネットワークの発展、いや経済社会全体を考えた場合に最も優先される事項である。コンテンツ市場へより一層のお金が流れる様な仕組みを作らなければならない。ネット中立性と言う近視眼的な主張が、コンテンツプロバイダ自らの首を絞める結果とならなければいいが。
  


Posted by furuhiro at 22:49Comments(0)

2010年02月01日

新モバイルエコシステムのススメ(2)~ Open4G始動!

モバイル通信のエコシステムには変革が必要であることを、以前このブログで主張した。ネットワークの価値は、その上で展開されるコンテンツが生み出す。接続できることが価値を生むのではない。このことは、通信サービスが唯一電話だった時代からそうであったが、ネットワークとサービスが混然一体となっていた時代にはほとんど意識されなかった。しかし、インターネット上で多種多様なコンテンツが展開され、ネットワーク提供主体とサービス提供主体とは生得的に分離されることが白日の下にさらけだされるようになった。コンテンツサイドからみると、高額なネットワーク接続料金が足かせとなり、コンテンツ市場の成長機会が損なわれていると捉えるべきだ。ユーザが感じる価値はコンテンツにある以上、ユーザがお金を払う対象は、ネットワーク提供者ではなくコンテンツプロバイダであって然りだ。このように考えていくと、これからの通信市場の主役は、ユーザと端末、そして、その上で展開される無数のサービスにあり、通信キャリアではない。ネットワークは単なる土管でよいではないか。

第4世代移動通信の議論が始まり、すでに10年もの歳月が過ぎた。その間、数多くの提案がなされてきたが、コンセンサス統一には未だ至らず、第2世代から第3世代への移行が迅速だったのに比べて対照的だ。事態を混とんとさせているのは、爆発的に普及が進んだインターネットの存在がある。第*世代と言う用語は、電話網の規格制定に始まる標準化を主導してきた巨大テレコム企業群の定義である。彼らのサークルの外で誕生したインターネットが、第1、第2、第3と順当に進化してきたモバイル通信システムの進化の方向性を狂わせているのである。

ネットワークを土管とみなしたところで、敷設・維持コストは必ず発生する。誰かが負担しなくてはならない。ユーザはコンテンツ視聴により直接の益を受けるのであるから、ユーザが支払う対価の行先はコンテンツプロバイダーであるべきだ。一方、コンテンツプロバイダーはネットワークが存在しなければ彼らのコンテンツを流布できないから、ネットワーク利用の最大の受益者である。よって、ネットワークの敷設・維持コストはサービスプロバイダーが負担すべきであろう。つまり、コンテンツプロバイダーはユーザからフィーを徴収し、一方でネットワークの敷設・維持コストを拠出する。これこそが、ネットワークとサービスが分離された時代の最も適切なコスト負担構造だろう。

土管に高級品は不要だ。安く構築できればそれで良い。ネットワーク(土管)の構築コストの大半はバックボーンネットワークとバックホールネットワークの構築にある。前者は都市間を結ぶ基幹網であり、後者はバックボーンネットワークから各無線基地局へ至るまでの支線網である。人体にたとえると、バックボーンネットワークは動脈、バックホールネットワークは毛細血管に当たるネットワークだ。これらのネットワークの敷設・維持コストを下げることが何より重要である。

バックボーンネットワークは、大きなトラフィックを扱う遠距離通信網である。WDMのような光ファイバ網の研究開発の進展は日進月歩だ。これに対してバックホールネットワークの進化は鈍い。バックホールネットワークは、まず面的なエリア拡充の要件を満たすように基地局の配置が行われ、その後、各基地局を結ぶネットワークとして整備される。アクセス回線のブロードバンド化が進行すると基地局の守備範囲は狭くなるから、たくさんの基地局を配置しなければならなくなる。バックホールの整備は非常に厄介なものとなる。私の研究は、このバックホールを無線化し基地局の敷設を容易にするためのシステムの開発に注がれている。

上述の新モバイルエコシステム実証のための大規模なパイロットシステムが、今日2010年2月1日、ついに稼働し始めた。場所は博多のキャナルシティ福岡。140台もの無線バックホール付き無線アクセスポイントを館内全域に設置、平均10ホップもの多段無線中継を実現した世界初のシステムだ。基地局は電源さえあれば容易に追加ができる。アクセス網にはWiFiを適用、ユーザは携帯電話とほとんど同じ使い勝手でWiFiインターフェースによるブロードバンド通信を行うことができる。

私は、大胆にもこのシステムを第4世代(4G)と定義することにした。キーワードは、超ブロードバンドでもなければ、ユビキタスでもない。オープンである。第4世代はオープンであること。だから、この仕組みをOpen4Gと名付けた。もう少し具体的にオープンとは何であるかを以下で説明したい。

・ネットワーク接続料無料
・WiFiインターフェースさえ備えていればあらゆる端末が利用可能
・面倒な加入手続き不要

自由に接続してもらい、その上で多様なアプリケーション群を開花させたい。次代を担う産業であるコテンツ市場の拡大を促進させる目的を持ったモバイル通信システムがOpen4Gである。

このネットワークを使って何か仕掛けてみたい方々、是非ご連絡ください。
  


Posted by furuhiro at 22:46Comments(0)モバイル通信

2009年12月30日

博士の育て方

私が博士号を取得したのは、28歳のとき。授与が決まった時は嬉しくて夜も眠れないほどであった。地元以外ではあまり名が知られていない地方の国立大学を卒業し、職場の有名大学修士卒の同僚たちの狭間で劣等感を感じつつ、彼らになんとか追い付こうと努力していた若い時分に、大きな自信と仕事に対する活力を与えてくれた。学位授与式には、最高の親孝行ができるとわざわざ両親を呼び、学位記は奮発して立派な額縁に入れ、自宅にしばらく飾っていたものである。こんな感じで、私の博士号への思いは並々ならぬものがあった。

ところが、である。最近の若い人達にとっては、博士号というのはもはや憧れの学位ではない。答えは単純。就活で不利だし、持っていても会社で特段評価されるわけでもないから。なんとも合理的である。選ぶ会社側も合理的だ。博士を出た学生がすべて逸材ということはありえない。平均を断ずれば、修士卒後3年の経験を積んだ従業員と大して差はない。となれば、彼らを特別扱い出来ないことは当然だ。

まず工学における博士とは、もはや類まれな成果を残したことに対する名誉の称号ではない。A級人材であることを保証する、いわばライセンスのようなものである。今時の企業が博士人材へ求める能力は、即戦力として仕事をバリバリこなせることに尽きる。ではそのような能力を持った人物とは一体どのような人物なのか。私の経験上、会社で評価され、また確かに良い成果を残している人たちの人物像というのは、おおよそ以下の能力を持った人たちである。

・早く的確な文書が書ける。報告書の作成が早い。
・説明に説得力がある=プレゼンテーションがうまい
・与えられた仕事を期限までにキチッと完遂できる
・専門分野への深い理解

上記4つの能力の獲得が企業への就職に有利だとすれば、博士課程における教育とは、専門分野における最先端をテーマにした研究開発を通じて、これらのスキルに磨きをかけることとなる。独創性は、わずか数年の大学教育によって身につくものではない。その個人の体験や性格、また仕事を通じた経験に大いに依存する。独創性を養うという名の下、若い学生へ完全なる自由を与え論文を書くことだけを目標に据えるのは違和感がある。。

教員は学生へ具体的かつ明確な目標を、達成期限をつけて与える。学生は、その完遂へ向けて試行錯誤を繰り返しながら研究開発を進める。この過程において、何度も学生へ説明の機会を与え、説得力ある説明の訓練を行う。説明の訓練では、自分が喋ったことが相手にどう伝わったかをフィードバックし、時に真摯に反省させる。また、定期的なレポートを書かせることで文書作成能力の向上を図る。専門分野の知識は、文書にまとめさせれば、その個人がどれほどのレベルにあるかを直ちに把握できる。与えられた目標を期限までに完遂させるには、目標達成に至る小目標を定義し、各々の達成時間を正確に予測するスキルが求められる。

上記のような教育のやり方は、何か無機質で人間味のない様に映るであろう。しかし、博士号取得者大量生産の時代にあり、その育成論にひとつの指針を求めることは間違ったことではなかろう。上記の育成案は、既存企業の価値観への迎合を前提に、私がこれまで実践してきた博士育成の方針である。しかし、これからの時代へ向けては、修正が必要と考えている。

これからは破壊の時代である。企業の新陳代謝が否が応にも進んでいく時代に突入する。このような壮絶な時代において、博士号を持つA級人材が果たすべき役割は大きい。アントレプレナーシップと言う言葉に代表されるような、独立心旺盛な起業家マインドを持った人材をどう育成するかが重要度を増す。博士号のあり方は時代背景を抜きにして考えることはできないのである。

本当に教育は難しい。
  


Posted by furuhiro at 00:56Comments(0)教育

2009年04月03日

まやかしのブロードバンド

ブロードバンドと言う言葉が身近な存在となって久しい。マスメディアは一般用語のようにこの言葉を使い、どこそこの会社が100Mbpsを達成した等の報道を盛んに耳にする。しかし、システムキャパシティのことを言及するマスメディアはほとんどいない。

いつ頃だったか、どこかのインターネットメディアが、HSDPAにより3Mbpsの伝送レートを観測したと報じていたことがあった。これに比べて従来の音 声通話を基本とするシステムが提供する伝送レートはわずか10kbpsである。当然ながら多くの読者は、HSDPAにより300倍もの通信速度が提供され るのだ、すばらしい、と考えるだろう。しかしこれには大きな誤解がある。音声通話の場合、回線が繋がれば常に10kbpsが保障されるのに対して、 HSDPAの場合は次の3つの条件を同時に満足して始めて3Mbpsが保障される。回線に繋がっただけで3Mpbsが保障されるわけではないのだ。

① ユーザが基地局の近くに位置すること
② この基地局を一人で独占できていること
③ 周辺の基地局で誰も通信していないこと

複数のユーザが同時に一つの基地局に繋がっていたり、周辺の基地局で他のユーザが通信を行っていたりすると、各ユーザが享受できる伝送レートは下がる。さらにユーザが基地局から離れていても伝送レートは下がる。

いや、HSDPAは確かに高速だと反論する読者もいるだろう。それは上記の要件を満足する状態にたまたまその人が運よく遭遇できているだけのことである。 現在、HSDPAをノートPCのインターネット接続手段としてメインに据えて利用するユーザはおそらく多く見積もっても日本国内で200万人程度だろう。 これが、たとえば現在の携帯電話の加入者数と同じ1億人が利用する状況となれば、多くのユーザは通信速度に大きな不満を感じるようになるだろう。 iPhoneなどのブロードバンドトラフィックを発するスマートフォンの普及が進めば、状況はさらに厳しくなり、3Mbpsを享受できるユーザはほとんど 居なくなるはずだ。実際、都内にてHSDPAによる通信速度を1年ほど前から数週間おきにチェックしているが、時を経るに従って確実に伝送レートは落ちて きている。

システムキャパシティとは、ざっくりと言えば、何人のユーザが同時に3Mbpsを満足できるかを表す指標である。同じブロードバンド環境、すなわち同じ伝 送レートのサービスを提供しつつも、100人へ同時に3Mbpsを提供できるシステムもあれば、わずか5人までしか許容できないシステムもある。モバイル ネットワークの性能は、ブロードバンド性能よりも、むしろシステムキャパシティのほうが重要なのである。日本の3Gモバイルキャリアは1社を除き同じシス テムを採用するからブロードバンド性能は同等であるが、設備投資額は会社によって大きな開きがある。この違いは、実はシステムキャパシティの向上にどれほ どのコストをかけているかによるのである。ブロードバンド性能は同じでも、会社によって通信品質に差があるのはまさにシステムキャパシティの差であると考 えて間違いない。

移動体通信の研究開発の歴史は、システムキャパシティ向上のための技術開発の歴史であると言っても過言ではない。研究開発の王道は、複雑な信号処理を駆使 して目的を達成することだ。その行きついた先が、OFDMであり、MIMOであり、Turbo符号やLDPCといった高性能符号化技術の採用であった。こ れらは通信研究の花形であり、皆がこぞってその研究開発に没頭してきた。

しかし、システムキャパシティをもっと簡単に向上させる手法がある。基地局の守備範囲をわざと狭くし、代わりにたくさんの基地局を設置することだ。実に単 純である。こうすると基地局の密度が増し、基地局あたりに接続されるユーザ数ならびに周辺基地局に接続されるユーザ数を同時に減らすことができる。この状 態は、上記3つの要件により近い状態を意図的に作り出すことに他ならない。守備半径を半分にすれば4倍のシステム容量が得られる。4倍すなわち6dBの性 能改善をOFDMやMIMO等の物理層・リンク層の技術にのみ頼って実現することは並大抵の努力ではすまない。

しかしながら、セル狭小化策は重要な問題の解決なくして実現はできない。エリア確保という問題だ。エリアを確保するために膨大な数の基地局を敷設せねばならないのである。

膨大な数の基地局敷設を如何に安価にできるようにするか・・・これこそが私が10年来取り組んできたテーマだ。OFDMやMIMOなどの花形研究に比べる と、地味でローテクな課題も多数ある。しかし、全く構わない。システムキャパシティ拡大という大きな課題に対して何とも単純なセル狭小化という処方箋は、 私が愚直に考え抜いて到達した確信であり、検討を開始して10年の歳月を経た現在でもこの確信が揺らぐことはない。幸いなことに、徐々にサポートしていた だける方々が増え、プロトタイプ装置を作れる研究バジェットも頂き、ついにアイデアを装置として具現化できるところまできた。このプロトタイプ装置を技術 供与し、実用化まで導いてくれる会社が現れてくれることを密かに期待したりもしたが、案の定、そう簡単に事は進まない。ならば自ら起業し、社会に問うてみ ようではないか~私は今まさにシーズをニーズに変える活動を実践しているのである。創業した会社はまだ半人前で、マーケティング活動らしき活動ができてい ない状態であるにも関わらず、話ができた方々からの手ごたえは予想を超えるものがある。もちろんニーズ爆発状態に到達するまでにはまだまだ相当に長い道の りであるのは言うまでもない。
  


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2009年04月01日

新モバイルエコシステムのススメ(1)

毎月の通信料を見るといつもため息である。まがいなりにも通信の研究開発・事業化に携わっている身であり、通信サービスの実態を知ることは重要と考え、泣く泣く高い通信料を払っているわけだが、料金の妥当性については幾ばくかの疑問を禁じ得ない。

そもそも、なぜ、我々ユーザが金を払ってネットワークを利用するかというと、そのネットワークを介して提供されるサービスを利用するためである。ネット ワークに接続することだけのサービスなど誰も必要としない(イメージしにくいかもしれないが、たとえば、ネットワークにログインして通信会社とのコネク ションを確立しておしまい・・・このようなサービス)。

通信網を利用するサービスは、昔は唯一電話しかなかった。この時代は、ネットワーク提供者=サービス提供者であったから、暗黙のうちに通信料とはサービス 使用料、すなわち電話代だったのである。しかし、インターネットが出現してからは、多様なサービスが出現し、サービス提供者がネットワーク提供者から分離 された。このような状況の下で、ユーザが支払う対価の行先がネットワーク提供者ばかりであるというのはおかしい。

私が気に入っているインターネットビデオニュースは月額500円の有料サービスである。このコンテンツを家で視聴するためにはFTTH回線料である月額 6000円を、また外出先で視聴するためにはさらに月額5000円の無線ブロードバンド通信料を支払わなければならない。合計、11、000円もの出費で ある。無論、11、000円は、この500円コンテンツのためだけの通信費ではないが、さすがにこれほどまでに通信料が高額だと、それ以外の有料コンテン ツを購読するのはかなりの勇気を必要とする。別の言い方をすれば、11、000円の負担が軽減されれば、もっとたくさんの有料コンテンツを購読するだろ う。

モバイル通信の世界でも同じことが起きている。携帯電話の利用目的が、従来の電話利用からメールやインターネットなどのコンテンツ利用へと移行が進んでい る。電話サービスが中心だったころは、携帯電話会社へ支払う通信料は、すなわち携帯電話代であった。しかし、コンテンツサービス中心の時代においても、コ ンテンツ視聴料よりネットワーク利用料のほうが高いとなると、これもやはりおかしい。

ユーザ、ネットワークそしてサービスがあって、モバイル通信ビジネスは成立する。電話の時代は、ネットワークとサービスを提供する主体が同一であり、お金 の流れがユーザからネットワーク提供者へと向かうのは、これ以外の選択肢がなく致し方がない。この電話時代のモバイルエコシステムが、インターネット時代 には、もはや合理的でなくなってきているのである。

コンテンツにこそ価値がある。しかし、ネットワークがなければ、サービスの伝達はできない。問題の本質は、コンテンツ提供者とネットワーク提供者の間で、 ユーザから得たお金をどう配分するかにある。これまでのように、ユーザが支払う通信料の大半をネットワーク提供者が得る仕組みは、上述のように、今日のイ ンターネット時代においては合理性に欠くと言えよう。ユーザは、コンテンツにこそ最大の価値を見出すのであるから、ユーザが支払うべき対価はコンテンツに 対して主となるべきだ。一方、コンテンツ提供者へ目を向けると、このような不合理な状態の下では、彼ら自身が提供するコンテンツがネットワークの負荷を高 め、輻輳させる危険性があることに対して無頓着になりがちである。これがインフラただ乗り問題のような問題を引き起こす。

しかし、お金の流れがユーザからコンテンツ提供者へ流れるようにしただけでは、逆にネットワーク提供者のビジネスが成り立たなくなってしまう。このようなエコシステムはそもそも成立し得ない。

ここで、コンテンツ提供者もネットワーク利用の受益者であることを指摘したい。コンテンツ提供者もまた、ユーザと同様に、彼らのコンテンツをユーザへ届け るためにネットワークを利用しなければならない受益者の一人なのである。彼らにネットワークの敷設コストを負担してもらうことは至極当然のことではない か。

・・・ということで、私が考える新しいモバイルのエコシステムとはこうだ。

ネットワークの敷設・メンテ・運用コストを、これまでのようにユーザからの直接的な収益で賄うモデルを改め、コンテンツ提供者を受益者とみなして彼らから 回線利用料を徴収し、これでもって間接的に賄うモデルへと変える。間接的と表現したのは、コンテンツ提供者は基本的にユーザからの視聴料により回線利用料 の元手を得るからである。

このような新モバイルエコシステムでは、ユーザが払うネットワーク利用料はコンテンツ使用料へ転嫁され、見掛け上、ネットワーク利用料は無料となる。され ばコンテンツ利用料の高騰を指摘する読者もいるだろう。が、人気あるコンテンツにはスポンサー企業もつくだろうから、これがコンテンツ使用料を下げる効果 を引き出す。人気のあるコンテンツは無料で提供できるかもしれない。

ネットワーク利用料が仮に無料であれば、浮いた分を複数の有料コンテンツの視聴に充てたいと思う私のような人は大勢いるはずだ。コンテンツ産業の活性化も 促せる。ユーザからお金が稼げると思えば、コンテンツサービスで一山当てたいと思う事業参入者が増えるはずだ。また、コンテンツ提供者へ課する回線使用料 に消費帯域に応じた従量課金を導入すれば、コンテンツ提供者へ回線消費に対するコスト意識を植え付けることが可能となり、インフラただ乗り問題も解消でき る。

なお、上記のコンテンツ提供者(あるいはサービス提供者。ここでは両者を同義に扱っている)はなにもソフト的なサービスに限定する必要はない。端末ベンダ なども含んでよい。たとえば、アマゾンのkindleみたいなコンテンツと端末とが一体化したサービスを提供する事業主体も上記のサービス提供者とみなさ れる。あるいは、あるメーカのゲーム機を買えば、ネットワーク利用料が無料になるとすれば、このゲーム機に付加価値を与えることができるだろう。この場 合、ネットワーク利用料はゲーム機メーカが負担する。

上記の新モバイルエコシステムでは、多数のサービス提供者が通信インフラの敷設・運用・メンテナンスコストを分担する相互持ち合い型の通信インフラを形成する。ユーザは視聴料としてサービス提供者らへコンテンツ利用の対価を払い、ネットワーク利用料を別途払う必要はない。

新モバイルエコシステム実現のためには、コンテンツ提供者や端末ベンダが互助会的な組織を形成し、ここがインフラの敷設・運用・メンテを担当するような運 用形態が考えられる。さて、肝心の通信インフラはどのようなものを選択するべきか?これらについては、後日また考察したい。
  
タグ :通信無線


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2009年03月10日

シーズとニーズ

大学発ベンチャーのほとんどは教員が持つシーズを元に起業したケースであろう。一方、巷の中小零細企業をみると、しっかりと生き残り活動を続けている会社はほとんどがニーズ主導できた企業である。では、どんなビジネスもニーズ主導でいくべきなのだろうか?

ビジネスはシーズだけではやれない。これは分かり切ったこと。しかし、今あるニーズばかりに囚われ活動していて、将来大きく開花する新しいビジネスを生み 出すことなどできるのか?今あるニーズは、ほかにもそのチャンスをつかみたいと考える人が大勢いるはずだ。そうなると、より多くの資本や資産を持つ企業に 軍配があがる可能性が高い。とくに大きなマーケットが期待できる分野では、その可能性はより一層高まる。このような分野でベンチャーが成功するのは至難の 業であろう。

しかしシーズ主導で起業した場合、成功へと導くための努力は並大抵では済まない。まさに茨の道である。この場合、すぐに応えられるニーズがどこにあるかを 探すことから始めなくてはならない。小さな案件でも地道にこなしながら、一方でしっかりとコンピタンスを蓄積し、近い将来、ニーズが爆発するのを待つしか ない。これは忍耐が必要。むろん、ニーズの爆発が永遠に来ないシーズがほとんどだろう。大きなニーズが永遠に来ないと判断されれば、潔くそのビジネスを諦 めなくてはならない。その判断のタイミングは経営者の先見性が問われるところである。

米国で大きな投資を受けて事業活動しているベンチャー企業を見ていると、巨大VCが彼らの出資先やイグジットさせた企業との間で強引にビジネスを成立さ せ、いわばマーケットを彼らの手の上で作り出し事業を育成するケースを見る。迅速にシーズからニーズへと転換させていくためのビジネス醸造システムだ。た だし米国発の金融危機により、このシステムにも修正が施される可能性はある。

大きく開花した独創性の高いビジネスは必ず最初はシーズからだ。しかし、これらのビジネスは、ある時期を境にシーズがニーズへと変化する。このようなシー ズを見いだせるか否かは、経営者の先見性のなせる業である。大学発ベンチャーに求められるのはシーズ主導だ。断言したい。大きく花開き、多くの雇用を創出 できる新しい事業を創出することが大学に求められる新世紀の役割の一つであってもいい。大学の知を富や産業競争力へと転換できる仕組みは大いに発展させな くてはならない。象牙の塔とはずいぶん違う大学の姿である。
  
タグ :起業競争


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2009年03月01日

こだわりの弊害

先日、NHKの番組を見ていて、某電機メーカのエンジニアが台湾製の低価格ノートパソコンに対抗するにはどうしたらよいかということを社内で議論していた シーンが流れていた。開発リーダらしき人曰く、わが社の強みは品質。品質に絶対の自信あり、企画部の人が何を言おうとも品質は絶対に妥協しない・・・この ようなことを言っていた。彼らはこの台湾製のミニPCを分解し、使われている部品の品定めをやっていた。

エンジニアが技術にプライドを持つことは重要だ。これがないと決して良い仕事はできない。しかし、プライドから来る「こだわり」は、時として「挑戦」や 「転換」を阻害する方向に働くことがある。日本の大企業に勤めるエンジニア達はこのようなこだわりをもつ人達が非常に多い。大抵が品質へのこだわりであ る。製品やサービスの品質はむろん良いにこしたことはないが、それがあまりに行き過ぎた結果が台湾製ミニPCの台頭である。このことは事実として受け入れ なければならないだろう。冒頭のエンジニアたちがあれほど品質へのこだわりを見せたのは、過去の大きな成功体験がそうさせているのだろう。彼らが所属する 組織のDNAに組み込まれているのかもしれない。

私が大学を卒業し社会人となったのは92年でちょうど日本でのバブルが崩壊した年であった。この年以来、個人の家計という観点では日本の社会はダウントレ ンドであったといってよいだろう。ITバブルの時期やいざなぎ景気越えといわれたここ数年の好景気の時代でも、多くの人は財布の紐を緩めようという気には なれなかったのではないか。会社に勤めていたころはこれだけ社会が厳しくなっているのだから、きっと大きな変革が訪れるだろうと心待ちにしていたのだが、 結局ほとんどなにも起こらなかった。

米国バブルに支えられたここ数年の企業の好業績の下でも給料はそれほど上昇しなかった。その分が新規雇用を増やしたり、リストラを抑制したりするなどの方向へ働いていたと解釈すれば、ある意味、これもワークシェアリングだったのではないか?

雇用が確保され、昔の成功体験が受け継がれ、こだわりの多いエンジニアが闊歩する。これが企業の新陳代謝を遅らせ、世界規模での競争において日本が先頭に立てない理由のひとつに思えてならない。

今の会社に我慢しているエンジニア諸氏、ご自身の技術へのプライドがあるならば、いま勤めている会社という組織に縛られる必要はないのではないか?転職よし、起業よし。現在の処遇に甘んじることなかれ。ご自身がもつ技術でもってどう金が稼げるかを考えてみてはどうか?

独立すると「こだわり」など言っている場合ではないことに気づく。 生きるか死ぬかの瀬戸際に立つと、人間は必死になる。まだ「こだわり」をもっている間は、本当の危機、本当の必死さのレベルまで到達していないということだろう。
  


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2009年02月07日

素の経済学

経済学者でもない私がこのようなことを考えるのは、現在、私自身がベンチャー経営に携わっていることが大きいが、この分野がどうもよく理解できておらず私 なりの理解を深めたいからである。新聞の経済面に書かれている内容は専門用語のオンパレードでよく分からないことが多い。今回は素を良しとするこのブログ の基本精神にのっとり、理解の途上ではあるが、思い切って私なりの経済学について披露したいと思う。

お金持ちを多くの収入を得る人(あるいは法人でもよい)だと定義すると、彼らは当然多くの出費もするから、お金の出入りはともに多い。支出は他の人の収入 となり、たくさんの人々が互いにお金の出入りを枝とするネットワークで結ばれ、この世の経済活動はモデル化される。景気が良いとは、この人と人を結ぶ枝が 全体的に太い状態をさし、お金の廻りが良い状態。逆に景気が悪いとは全体的に枝が細い状態をさし、お金の廻りが悪い状態である。このようなネットワークを お金ネットワーク、各枝を金官と呼ぶことにしよう。

このお金ネットワークの流れを制御するのは心臓に当たる銀行。銀行には2種類あって、お金製造機である日の丸銀行とポンプ役を担うタダノ銀行。タダノ銀行は複数存在し、日の丸銀行で作られたお金を借りて、お金ネットワーク内の各人へお金を供給するのである。

タダノ銀行は日の丸銀行からお金を借りるのだから、当然返さなくてはならない。したがって、彼らがお金ネットワークの各人にお金を供給する時には、利息を 付けて回収できることが前提となる。ここで、リスクという概念が発生する。お金を貸したところで、必ず回収できるわけではなく、回収できなければ損をす る。つまり、お金を貸すとは貸し倒れの危険を覚悟の上で人にお金を供給するのである。

担保をとりお金を貸し出す連中は真の意味でリスクを取っているとは言えない。彼らは貸した相手からお金の回収ができないとなると、貸したお金に資する不動 産等の現物を召し上げるのである。すなわち、このような類の金貸しは担保を有する限定された人にしかお金を供給せず、かつ仮に回収できないとなると、その 人の財産を奪い、この人から生ずる金官を限りなく直径0に近づけてしまうのである。このような金貸しばかりがポンプの役を担うと、景気を良くする効果すな わち金官を太くする効果は限定的であろう。

ところが借りた金を面白く使う連中がいる。無担保で貸し出す連中だ。彼らはイノベーションに対してお金を供給する。この行為は投資といわれ、彼らを投資家 という。投資家は投資と引き換えに投資先の株を手に入れる。株もある意味担保といえるかもしれないが、株は投資先が勝手に刷った紙であるから、土地などの 現物とは異なり、価値無しに容易になりうる。したがって、金貸しの担保とは性格を異にする。

投資家は投資先のイノベーションに賭け、株の価値が上がることを信じリスクを冒す。ある人がイノベーションによってお金の出入りを良くすることができれ ば、この人から出る金官は太くなり他の人のお金の廻りすら良くする方向へと導く。こうしてお金ネットワークの金官は全体的に太くなり、景気は良くなってい く。投資先に土地などの担保はいらない。イノベーションがあればいい。

投資家が積極的にリスクを取るようになると、タダノ銀行の貸出需要が増え、日の丸銀行は需要に応えるためお金をたくさん刷って貸し出す。金官は太くなり、 景気は良くなる。お金ネットワークに供給されるお金の量は増える。すなわちイノベーションはお金を増やすのである。お金ネットワーク内の人の数は常にほぼ 一定であるから、流れるお金の量が増えれば物品・サービスの価格は上がりインフレが起こる。

人類は数えきれないイノベーションを生み出し、お金を増やしてきた。今は急速に金官が細くなっていっている状態である。しかし、投資家がリスクを冒すこと をためらうようであってはならない。投資家がリスクを冒すことをためらうと、それはイノベーションを開花させる確率を下げることになり、ますますお金ネッ トワークの金官は細くなっていく。太くするための特効薬はイノベーションを増やすことである。そのためには投資家が積極的にリスクをとるように仕向ける政 策が重要であろう。そのひとつが日の丸銀行の貸出金利を低くすることだ。

リスクを冒すこと、イノベーションを成すという覚悟、いずれも心理的な要素が大きい。景気が悪いからと言って、盲目的にリスクをとることをためらう行為 や、イノベーションを成す覚悟を捨てる行為は、さらに悲劇的な状態へと自らを陥れるだけだ。イノベーションに景気の良し悪しは関係ない。むしろ、景気が悪 いそのこと事態が新たなイノベーションを生む素地になる。
  
タグ :経済


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2009年02月01日

特許と論文

iPS細胞の作製に関する発明は世紀の発明とされ,連日新聞紙面をにぎわせている.議論の対象となっているのは特許に関することが多く,つい先日も,バイエルン製薬のヒトiPS細胞作製に関する特許が公開されたことがニュースとなっていた.

iPS細胞の発明者である京都大学・山中教授が同細胞の生成法に関する特許を出願したのが2005年12月.しかし,次の年にはサイエンス誌に本成果に関 する論文が掲載されたというから,特許公開前に発表したことになる.これだけ注目されている技術である.商用化フェーズへ移行すればおそらく大変な特許紛 争が起こるだろう.成果の論文発表を急いだ山中教授の気持ちはよく分かる.良い成果はすぐに論文で発表したいと思うのは大学人なら誰しもがそうだ.なぜな ら,研究者の評価は,多くの場合,論文の質と数で決められているからである.

反対に,昨今の先進的企業の多くは論文発表はあまり重視しない.重要な技術は直ちに公知の技術となってしまう論文ではなく,特許として法的に守られた権利 として囲い込むことを優先するのである.今この瞬間にも,論文として公にはならずとも世界中のどこかの企業あるいは研究機関が革新的な技術を発案し特許申 請していることであろう.出願した特許はある期間が過ぎると必ず公開される.その時になってはじめて公になるのである.山中教授が,彼の革命的な発明を公 開前に論文発表してしまったことの是非は,歴史がやがて明らかにしてくれるだろう.

私が第三世代移動通信の標準化で色々と鍛えられた末に会社を辞めて大学へ戻ってきたとき,以降の自ら研究スタンスについて誓ったことがあった.それは論文 発表よりも特許出願を優先させるということである.これは標準化活動での経験からそう誓ったのである.しかし残念なことに,特許はその当時から現在もな お,大学ではあまり評価されない成果とみなされている.大学へ異動してから今日まで,良いアイデアの特許化を優先し論文は二の次として研究に勤しんでいた 私は,発表論文数が少ないと辛酸を舐めさせらたこともしばしば.しかし,やはりあの時の誓いは正しかったと信じている.

私が活動している通信分野の学会で最近起こっている現実にどれくらいの大学人が危機感を持っているだろうか.

この分野は長年,通信事業会社や通信機器メーカに属する技術者・研究者が技術をリードしてきた.かつて彼等は学会を自ら生み出した技術をアピールし産業界 へ影響を与える絶好の場ととらえ,積極的に最新の成果を披露してきた.しかし最近では,これら産業界に属する技術者にとって学会はあまり重要なものとはみ なされなくなってきた.彼等は学会ではなく,標準化の場で自らの研究成果を披露し,他社との激しい競争を行っているのである.なぜなら標準方式として採用 された技術は,数年以内に実用化され,発明者が所属する企業にロイヤリティ等の形で収益をもたらすからである.一方の学会は,標準化でさんざん議論し尽く された内容のものがワンテンポ遅れて卸され,議論されるといった有様である.多くの学者は自らの研究テーマの探索に学会での動向を参考にする人が多いと思 うが,これだとワンテンポ遅れて卸されてきた産業界の技術トレンドをさらにワンテンポ遅れで追いかける羽目になってしまう.このような状況下で,産業界が 認め積極的に採用してくれる革新的な技術を大学が主導し開拓していくことなど可能であろうか・・・学会は減る一方の会員数を増やすために,あの手この手を 仕掛けているが,まずは産業界で起こっているこの技術開発ゲームの様態の変化をとらえるべきであろう.

この状況が進行すれば,学と産の壁はますます厚くなり,大学の「象牙の塔」化がますます進む.学生にとってみれば,大学生活と会社生活との隔たりの大きさ に脅え,とても呑気に博士課程まで進み大学で技術を極めたいとは思えないだろう.このような状況は通信の分野だけに限らないのではないか?

大学は変わらなくてはならない.産業界が戯れているゲームの世界にももっと多くの大学人が身を投じてよいではないか.もっと組織的に行動し,標準化などの 場へ大学が主体となって参画してもよい.あるいは,大学発ベンチャーをもっと積極的に進め,産学のかけ橋にこれらを利用するなどの方法もある.いずれにせ よポイントは大学人が学会発表という手法だけを自らの研究成果をアピールする機会ととらえる時代は終わりを告げようとしているということだ.我々はもっと 多様な場を活用できる.たとえば標準化の場しかり,webページやプレスリリースによる成果発表しかり.これらのメディアを活用し,社会に大きなインパク トを投げかけ,そして究極的には,リスクテーカーからの新たな投資を引き込む新技術,新産業をどんどん創出していかねばならない.このプロセスと論文至上 主義とはあまりにも距離がありすぎる.

これらの活動を行う場合に重要な後ろ盾になるのが特許である.産業界と同じ土俵で切磋琢磨するためには特許による権利化は必須である.特許は,その審査の 経過で通常の論文査読に準ずるレビューを経るため少なくとも権利化された特許は技術的にある程度は確かなものである.何より自ら発案した技術を法的に守っ てもらう権利を獲得できることが重要である..

このような活動ができる人材を大学はもっと増やすべきだ.大学改革の必要性が叫ばれ,そしてさまざまな試みが実践されて久しいが,真に改革すべきはこのよ うなダイナミックな潮流の変化を捉えられる柔軟なマインドセットを持った教える側の質にある気がしてならない.どんなに優れたカリキュラムを編成しても, 教える側の質が変わらなければ元の木阿弥.教える側も教わる側も,どちらもハッピーにはなれないだろう.
  
タグ :特許発明


Posted by furuhiro at 01:00Comments(0)特許

2009年01月01日

ブログ始めました!

2009年を迎え、念願のブログを開設しました。

エッセイとも言えるブログは、自分をさらけ出すようで恥ずかしいですが、技術論文では書けない主観を書けるところがいいですね。仕事に関係する内容が中心となるでしょうが、ぜひ今後も定期的にのぞいていただければ幸いです。

このブログのタイトルに「素は創造」という名を与えました。

つい先日、夏目漱石の短編エッセイ、「素人と黒人(玄人)」を読んだ。創造は素人が成す。創造的な人は大抵物わかりが悪く、呑み込みが悪い。その道で経験 を積んだ者は、そのような人を素人と見下すことがある。しかし本物は素人であることを臆することなくさらけ出せる人のほうだ。何事にもとらわれず、常に自 分の頭で判断し、自分で何をすべきか決める。常に自分本位である。これなくして創造など有り得ないだろう。素人であることが創造的な仕事をする上で必要な 行動様式であることを漱石は見事に指摘している。一流と呼ばれる芸を持つ人の中には、常識にとらわれすぎていて創造的ではない者もいると言い切っている。

私が知っている独創的な仕事をした人達は、なるほど大抵呑み込みが悪い。もちろん彼らは馬鹿なのではない。彼らが理解したと自覚できる基準が高いのであ る。高すぎるからなかなか納得しない。このような態度が、周囲には呑み込みが悪いように映るのである。彼らが新しい情報を得たとき、彼らの頭の中にある知 識ネットワークとこの新しい情報とがどうリンクするのかを模索する。そして、他の知識との関連が正しくネットワーク化されたとき、初めて納得するのであ る。これが、いわゆる「腑に落ちる」というところまで達した理解である。いったん腑に落ちれば、新しい概念は完全に彼らの血となり肉となり、そして次の創 造の糧になるのである。

「素直」という言葉も好きだ。しかし、ここでの素直とは決して人に対して従順であるという意味ではない。自分に対して、である。自分に素直であることは、 時に周囲との軋轢を生じさせることもあり、決して楽な生き方ではない。しかし、自分に嘘をつくことは、やがて後悔を生み、その人の人生を不幸にしてしまう こともある。また、「素人」であり続けるためにも必要な態度であろう。

素人であることを誇りとし、自分に素直であることを生涯忘れず、そして創造的な仕事がしたい。この思いをこめて、「素は創造」とこのブログのタイトルをつけた。
  


Posted by furuhiro at 07:00Comments(0)その他